金曜日。。。何かとスタート

 9時ぐらいから子供たちが一階で寝てしまいました。。。どうしよう。。。寒くなっていたのに、ホットカーペットをつけてなくて、寒いなあ…と、いろいろ暖房器具をつけたとたんに眠られました。あったかくなってということなんだろうな。。。鷹太は昨日から微熱が続いているので、明日も様子を見てあげなければ。単なる疲れか、何か病気か…今日はお昼から、バーバが来てくれて鷹太を早退させて様子見てくれていました。。。昨日も発熱の連絡をバーバが受けてくれて動いてくれていたのでたすかりました。


 今日は帰り際にシルバーさんの事「どうや?!」と声かけて帰っていってくれた。まあ、私も、まだ??で元気なひとやったことを伝え、子供たちも何も言わないとの事を言うと「まだ、一回やからわからんよな。」と答えてくれていたが。本当にそう思う。。。来週月曜は会議が入るので大変ありがたい。。。


 今日は、育休から復帰したお友達から、「ヨシケイ」のことの質問を受け、まあ、我が家の利用頻度等をお伝えした。。。「やるんやったら、なんか、紹介のプレゼントあるかもしれんから言ってなあ。」という事も伝えておいた。どんどん、大阪のおばちゃんになっていく今日この頃。ヨシケイや生協を組み合わせてできるだけ、平日や週末の買い物の軽減になっていることを伝えると、本当に困られていたようだったので、少しは役だったかな。。。



 春になって、今の職場で6年目になった。新たな仕事もスタートしてドタバタはしているが、いろいろな人と長い付き合いになったなあと感じる。職場内はわりと異動等があるので、外部の人と接するときに特に長い付き合いになってきたと感じる。。。ありがたい。


 今日も、今年からトップ近くのお仕事をされている人に「これやったらKさんに聞いたらわかるかな・・・」と呼ばれて、行ってみると思い出しました。一つのロッカーの中身を示されて、「これは何?」と聞かれたので、「ああ、これはI丸先生が使っていたもの。こういう利用の仕方がある。どこどこで使っている。使っていた。」と説明をしていると、その質問をされた人から「I丸先生ってダレ?前にいてはった人?」という質問等をされて、また、そこから説明。。。私には、それぐらいしか言えなかったけど、H先生はロッカーの中身をどう受け止められたのか。。。数年前にそのロッカーの前で話をされていたI丸先生のことを思い出しなつかしく思ったのと同時に、あれだけ存在感のあった人も、どんどんと、消えていくことに不思議さを感じてしまいました。。。当たり前なんだろうけど。。。



 昨日は、時間をつくってお昼すぎから、仕事でお世話になっているIさんを訪問しました。いつも、コーヒーを出してもらえるので、夕方近くに訪問しては自分がしんどいことも考え、お昼過ぎに。電話して、珍しくIさんをすぐにゲットできたので、もう「すぐ行きます!!」といって、前から用意していたお菓子をもってあわてて出発。職場から歩いて10分と少し。昨年のお礼と、今年のお仕事の依頼を。I丸先生から引き継いだお仕事です。職場周辺の土地の大地主さんで、息子さんも、お父さんから引き継いで自治会長さん、職場でも本当に大きな存在です(影のボス的。。。優しいおじいちゃんだけど)。本当に6年間のお付き合いになるので、もう、だいぶと気楽に会えるようになりました。長い間、カチコチでした…。


 いつも聞いてしまう事ですが、84歳。獣医師さんのお仕事の話や、府庁で勤められていた話、戦前、戦中、戦後の話、大学を出た時の昭和23年の話(母が生まれた年やん!!って思ってしまいます)。150人の部下がいた話(なぜそんなに部下がいたのかは、大阪万博が原因とのこと)。定年退職が55歳だった話。退職後も、帝塚山○○で70まで講師をして、楽しかった話し。宗教の話。身内の話。自治会の話。国旗国歌の話…  


 何度か聞いたこともある話や、初めて聞いた話。いろいろな話が、でてきます。話し方も、しっかりとされているので、ちゃんと聞ける。少し、徳島のおばあちゃんのことを思い出しながら聞いていましたが、伝えるの悪いかなと思いながらも、最後ぐらいに、3月にダンナの祖母が亡くなって、話の内容が重なるから思い出していたことを伝えさせてもらいました。徳島のおばあちゃんの方が少し上ですが。まだまだ、Iさんと一緒にお仕事したいです。。。仕事の話は10分ほど。それ以外は2時間近くいろいろな話を聞いたり話したり。やはり、スゴイナアと思う話ばかりですが、(馬や牛を診る獣医の話も楽しい。ここに残せない話も聞きました。見せてもらいたかったが。どのように利用していたかを聞いただけ。処分されたのだろうな。)なんとかかんとか、私も話についていっての2時間。仕事も快く引き受けて下さったし、ルンルンで、(雨の中でしたが)職場へ戻りました。職場のボスにIさんに会ってきたよと廊下であってお話をしたら「僕が訪ねても息子さんしか対応してくれないのに・・・」とのことだったので少しこころの中で喜んだ。


 ちなみにIさんのお宅(大きなおうちです)のとなりが太◎寺。代々ずっとお寺の守りをされているとことで、お寺の話は、本当に年の差関係なくおしゃべりができます。そのお寺も地名になっているぐらいなので、昔は大きかったとの事。お坊さんたちの戦い?でまけてしまって、立派な門や五重の塔をとられてしまった事、そのとき助けに来てくれた人達が徳島から来られて、お礼に鐘をわたして、今も、徳島の○○というお寺に行けば、その鐘に太◎寺が刻まれているとのこと(お寺名を忘れてしまった)。  そこから時代がかわって、戦中にやはり鐘がなんだったっけ?戦争で出さないといけなくなって下ろして、出されてしまった話。。。奈良の実家では戦中に、やはり鐘を下ろしたけど、戦争が終り供出?しなくてすみ、また元の場所に戻った話。(当時鐘ととった記念写真が、ずっと本堂に飾られていて、私も不思議だったので小学生の頃にその写真をコピーして、レポートをつくり、発表した経験がある)そして、今父がその話しから「平和の鐘」と名付けて、12時に12回ならしている話をお伝えすると、Iさんも隣のお寺に鐘があったら、毎日鐘をつきたいとおっしゃられて、戦後、お寺に鐘はなくなってしまった事を知りました。窓の前に立てていた、銅製の棒や、銅製のトユまで出さなければならなかった話等を聞いていると、奈良で私の祖父母から聞いていた話よりも、堺は厳しかったんだなーと思ったり。


 私は小さい頃から祖父母に話を聞き、戦前、戦中どのような生活をしていたかわりと教えてもらっていました。そして、徳島のおばあちゃんの話や、前に姫路城の近くで育たれた写真屋さんの話、Iさんの話等は、聞いていると、私の頭の中ではドンドン昔の話が、カラーで現れてきます。すごく不思議だと思う一方、その中を、この人たちは生きてこられた、生活されてこられたのだな…と。少しずつ、お別れというかたちで、このような話が聴けなくなるのはもったいない。。。Iさんの話、すごくすごく楽しかったでです。




 ちなみに、Iさんは昨晩、農業関係の寄合に出るとの事で、その役員に新たに(たまたま地元の)私の同僚のNさん(59歳)が加わることになったとのことで「Nってどういうヤツや?」ときかれて「ヘビースモーカー」と答えると「何の教科おしえとるねん?」との質問や・・・本当に簡単に今されているお仕事の話(これもオープンにできないから)を伝えました。帰り際に「今晩は小さな集まりやからNはこないやろう」との一言もあったのですが。。。


 今日N先生が私のそばに来られて、私が話をしておいたことから(??)すごく関係が楽だったと話をしてもらいました。自分の今の状態をIさんが分かっていて動きやすかったとの事。そして、来年以降、仕事が減るから、私の今の仕事に協力するよという会話に変わり、農業の話もだいぶとできました。昨日お願いした田植えの授業にも出てこいと言われた…とのこと。あまり、よくわかっていないが、Nさんとのおしゃべりもだいぶ変わり(Nさんとは12年来の付き合いですが。)Iさんの存在をあらためて実感しました。。。ほんまに強いんだろうな。。。優しいおしゃべり好きのおじいちゃんです。