火曜日。。。ねこばなし

 もう少し、猫のことを書いておこうともいます。。。鷹生の修了式、写真明日あしたのせます◎◎



 ダンナもたぶんわかっていると思いますが、本当に私は生粋の猫好きです。たぶん、生まれた時から身近に猫がいてたのもあります。生まれた時にいた猫が確か「ちゃちゃ」という名前の白い猫。昔の家族写真にもあらわれていました。歴史上の人物からつけられたような名前ですが、おおきくなってきくと「めちゃちゃ(めやにがついている。大和弁?)」の「ちゃちゃ」だったらしい。その後、このちゃちゃから生まれた子猫で「よよ」と「ねね」。この2匹は私と姉の名前の一部分からつけられた。この子たちの出会いにも私が関係している。


 私が朝起きて台所におりて(当時は土間でした)、うんちが落ちていると思い母に連絡。「だいどころにうんちある」・・・たしか鷹生よりも小さい頃?の記憶だと思います。母が片付けといてといったのでほうきと塵取りで、はいたら動きました。そしてまた母に、「うんちがうごいた☆」とつたえて初めて猫の赤ちゃんだということがわかり・・・それが猫の赤ちゃんとの初めての出会いの私の記憶。。。その後も色々ありました。お墓で、猫と不思議なものを見て、あわてて猫を抱えて家にもって帰り、母に「ネコから(確かヨヨのを連れて帰ったと思う)変なもの出てる」と言って見せると母が血相をかえて「元の場所にもどしなさい!!」と言われてあわてたことも。出産中の猫を連れて帰ったようでした。その後本当にもとにもどしたか、ダンボール等を用意してもらえたのかはおぼえていませんが。まあ、猫との記憶をたどると本当にいろいろと。

 
 赤ちゃん猫でも弱っている猫がどんどん他界されるのも見てきました。本当につらい別れ(目の前で父親ネコにかまれる等…母親ネコがいない時に子猫さみしいだろうと思って父親ネコ?をダンボールの中に入れたら…動物の本能だという事を後で知りました。)あとは母親ネコが子猫を圧死させてしまうことも。弱いネコを長い間看病して、膝の上で看取ることもしました。家族からはあきらめろと言われてもあきらめることができず、ずっと夜中台所で膝の上において最後のお別れをしました。この子の名前は「ぐっすん」生まれた頃から鼻をグスグスいわせていたので。一時は30匹ぐらい猫がいてた家だったので(捨て猫等がお寺にいっぱい来てたこともあって)本当に猫との思い出はいっぱい。。。時々話をしていますが。


 そんなこともあって、今も猫がいない生活は私には難しい。猫ちゃんをずっと抱っこしておきたいと言う気持ちがいつもある。家にいなかったときは、近くの猫をだっこしていたぐらい。ホークスを飼えたのは大変うれしかった。ホークスを飼うときもだいぶとダンナに話していたような。そして、長屋で飼っていた頃と、今の我が家でかっていること、子供たちとホークスが一緒にせいちょうしてきたこと(ちなみに上の世々ちゃんが13年生きました。逆算するとよよちゃんとの出会いは3歳より以前?)、いつか振り返るときが来るかもしれません。子供たちの記憶の中に、ホークスがいてくれると気がくるような。


 今回も、はいちゃんとは(名まえをつけると情がうつるのでできるだけ単純な名前に)5日間ぐらいの生活でしたが、とってもかわいかったので、飼いたいなという気持ちもありました。一方で、こんなけかわいく育ててはって飼い主は、たぶんさみしい思いをされているはずという気持ちもあり。ダンナは私の動きを難しがっていました(近所の人達は単なるノラネコ?と思ってはったし)。たぶん、猫を見る目等が私の方が異常又は、変なんだろうな…とも思える(笑)まあ、簡単に言って猫ちゃん大好きです。大人になってからは、できるかぎり捨て猫等に関わらないように、できる限り心がけていますが。(大仙公園捨て猫が多いので、ダンナが時々自転車スクールで行ってますが、実はつらい面もある。)


 近所の人達との猫の関わり方も、実家にいたころから考えてきました。今回は、少し近所の人達と猫の話ができて良かった。近所の人達の理解も得て猫を飼っていかないとおもってはいるが、迷惑をかけてしまっていることが多く…今回は、私の猫好きを少しでもわかってもらえたかもしれない。子供のころから猫と接してきたが、だんだんと大人的な考え方にも変わってきたように自分で思える。少しでも、不幸な猫を減らしたい。



 去勢や避妊も必要。東北の震災で不幸なペットが多く出た時も、大変心ぐるしく少しでも何かできないかと思い、ダンナとも話し合ったが、結局何もできなかった。震災にあった時にホーちゃんをどうするのかも結局はちゃんと考えられていない。


 一方では、猫エイズの問題も気にはなるが、地域ぐるみで、猫や犬がいる環境もあって良いのではと思う気持ちも。今では少数派いけんなんだろうな。。。交通事故等も気になるし。地域で猫や犬が触れ合えれるようにいると、情操教育にもなるだろうし、防犯上の動きも高まるのだろうけど。。。最近は室内犬、室内ネコが一般になってきているのはすこしさみしい面もある。色々な面から、外がいはむずかしいのだろうな。。。 ちなみに、ホーちゃんは半野生化しているので、いろいろな意味で強いような気もする。今回のハイちゃんとはちがって、だいぶと土地勘をもって行動できるような気がする。


 大きな意味では、野生の猫や犬が自然界から消えると、生態系のバランスが何らかの形でこわれるという考え方ができる。そこらあたりにいる犬猫がいなくなるなんてという考え方が普通かもしれないが、だいぶと野生の犬猫の数は減っていってるはず。問題視しなければいけないかも。