大阪城(こわいはなしです)

 大阪城から5時ごろ鷹生がかえってきた。いろいろなおしゃべるのなかに「ちょげがえるに会った」という話が。つるぱっぱに次いで・・・と思い近くにあったペンで「ちょげがえる」とメモをしておいた(ぜったいすぐに忘れそうな言葉やったから)。だんなと夕ご飯中におしゃべりをしていたなかで、「そういえば鷹生がちょげがえるにあったっていってたでー」と笑いながら言ったら、鷹生がおこった!!「わらいながらいうな!!ちょげがえるはつるまつのいもうとや!!つるぱっぱもいたで!」えっ?とおもいながら頭に残しておいたら・・・あとで調べたら豊臣秀吉に女の子の子供はいてました。。。まだ、こまかくは調べていませんが・・・ 
 夕ご飯後おちついている鷹生におそるおそる(私が興味をもっているというのを気づかれないように)「つるぱっぱたちとまたあえたんやな」というと「3階にいてたで。秀吉の部屋や。あの子らは昔の人やけどなしねへんねん。」とのことでした。。。鷹生には何がみえているのだろうか。。。だれか豊臣秀吉をよく研究している人がいてたら、「ちょげがえる」の言葉の由来をおしえてください。。。ネットでは秀吉の女の子供の名前はわかりませんでした。。。たぶん、鷹生にきいたら(まじめにきいたら)いろいろ話してくれそうだけど、あまり大人がふみこんではいけないような気もします。まったくの勘違いなのかもしれませんが・・・。