夫です 東北から帰ってきました

今日は東北で行われているサイクルエイドジャパンというイベントに参加してきました。自転車協会が主催で観光を通じた東北の復興支援を目的として5月の土日で3週にかけて行われており(12〜13日、19〜20日、26〜27日 計6日)参加費の一部は義捐金になります。スタートは朝早いので(午前8時 盛岡出発)盛岡に前泊しました。

前日の移動は飛行機と新幹線で盛岡へ。13時20分発の伊丹〜仙台JAL便に乗りました。この日は出発準備でバタバタし暑かったので半袖でした。飛行機に乗り込む時に一人のキャビンアテンダントさんに「今日は暑いので半袖で正解ですね」と声をかけてもらった。仙台の天気が気になったので聞いてみると「雨で16度」との事。仙台についたらきっと肌寒いですよね、などと会話をした。このキャビンアテンダントさんはどことなく鷹生と同じ組のK太郎君ママに雰囲気が似ていてこのような会話もしたので印象に残った。
飛行機は少し遅れて離陸した。途中琵琶湖の南・松本・猪苗代湖等の上空を飛び三陸沖から仙台空港へ着陸するのだが、着陸直前浜辺で木々がなぎ倒されたままになっていたり、空き地にところどころ瓦礫が積まれていたりしていたのを見ると思わず涙がこぼれた。

仙台空港から仙台駅までは空港アクセス線。ここでも海岸沿いを見ると空き地になっており、震災前からあるのか震災後に立てられたのかわからなかったが空き地の中に数十のお墓が立っていた。
内陸に入っていくと段々にぎやかな街並みが見え、津波被害を受けた海岸沿いとの違いを感じた。


伊達政宗は仙台のシンボル的存在

上の写真の通り仙台駅ではいたる所に伊達政宗がでてきてました。
仙台駅からは新幹線はやてに乗り盛岡へ。

二つの新幹線が接続、緑のはやてに乗った

仙台から盛岡までは停車する駅は無く、明日走る花巻も通過。花巻近辺では明日走る右側にある山々を見ながら、明日走るルートをイメージした。

盛岡駅で降りると、明日のサイクルエイド参加者らしき輪行バックを担いだ人がチラホラ。私は自転車は会社で一括輸送してもらっているので輪行バックは無い状態だったが、もし自転車と一緒にここまで来るとなるとそれだけで大変。
ホテルに着くと、ちょうど自転車を積んだ会社のトラックが到着していた。


ホテル前を通過する堺からやってきたトラック




夜ご飯 じゃじゃ麺にしました


これがチータン お店の人が色々教えてくれました



5月19日(土)

私たちのグループは8時〜スタートなので朝食も早く済ませて盛岡城跡公園内の集合場所へ。

サイクルエイド 集合場所

集合場所で参加証と誓約書を提出。朝早いので少し肌寒かったが天気はよいのでサイクリング日和になりそうだ。

出発前の光景

出発前に必要な装備をちゃんとしているかチェックされます(ヘルメット・手袋・ライト・ベル・後方リフレクター)今回のために今まで持っていなかったヘルメットをついに買いました。



走り出してすぐ気が付いたことは、下記のポスターがいたる所に貼ってあったこと。やはり岩手ではこの人は絶大な支持がある?

出発地点からは北上川沿いを南下する平坦なコース。大迫にあるエイドステーション(休憩場所)まで向かいます。それにしてもこの「大迫」という地名の読み方が覚えられなかった。「おおはさま」と呼ぶのだが、道路標識のローマ字を見ても何て読むか分かりにくかったし、途中ひらがなで書いてある看板を見てもしばらくたつと読み方を忘れてしまい、今こうしてブログを書いている時も(何て言うんやったかな?)と思い出しながら書いているし・・・。
自分が今どこを走っているのかわからずサイクリングをするのはイヤなので地名は頭に入れながら走るようにしているのですが、学生の頃のようにはいきません。

大迫エイドステーションを過ぎると国道396号線を南へゆるやかな登りが続く。この辺りから遠野物語で有名な遠野市になり(おそらく町村合併後に遠野市になっている)黄川田徹氏のポスターを見つけた。黄川田氏は陸前高田市出身の国会議員で両親・妻・子息を震災で亡くしたという事は新聞記事で知っていたが、すぐ近くに津波で大きな被害を受けた街がある事を再認識した。

途中から国道からそれて田瀬エイドステーションまで登りが続く。


田瀬ダム あの上まで登りです


坂を登る途中で再び花巻市に入ります。そこからはダムまであと一息。


坂を登りきった後の田瀬ダム


田瀬湖にて


田瀬湖は北上川水系最大規模の人造湖らしい


第2エイドステーションの田瀬釣り公園にて


田瀬湖のエイドステーションを出発するとさらなる登り。花巻市街に入るためにはここからさらにひと山を越えないといけない。走行距離も60キロ近くになり疲労も出てきている。ここで他の参加者との差が顕著に現れた。峠を登るスピードが全く違う。けれどもこれは致し方がない、普段は自転車に乗っていないのだから。完走するための余力は残しながら何とか山を越えた。


山を越えて走行距離も75キロ程を走り、ラスト15キロあとはゴールの花巻温泉郷までは平地をずっと西に進むだけ・・・だったのだがここで落とし穴が。平地なのにスピードが出ない。立ち止まって道の脇を見ると草や木葉が東の方に風で傾いている。おおっ、これは向い風だ。最後でこの向い風は体力的にかなり厳しい。ここまで来たら少しずつでも進むしかない。


北上川花巻空港近くの橋の上にて)


宮沢賢治が教鞭を取った花巻農業(の看板)


上記の写真の場所いずれも向い風がきつかった。
ゴールまであと少し。余力を残さず走り切った(少しでも変なこぎ方をすると足がつってしまうような状態だった)


ゴール地点の花巻温泉郷にて


↓サイクルエイドのHP。スタート地点の写真の中にちょっとだけ私も写っています(左下)

http://cycle-aid-japan.jp/report/s2_1.html


ゴールした後はみんなが泊まる旅館に私も一緒に行き温泉に入りました(サイクルエイドのゴール時に貰った入浴券で宿泊者でなくても入れる)このまま宿に泊まりたい気もしたが飛行機も予約しているし帰路へ。

花巻温泉郷から花巻空港まではタクシー。18:50発の伊丹行き最終に搭乗。ここで見覚えのあるキャビンアテンダントが・・・昨日の仙台行きの飛行機で会話をした人だった。花巻発の飛行機に何で乗務しているのだろうと疑問に思いつつも、たくさんの乗客と接しているから向こうは覚えてないだろうし私も疲れてたので、特に話しかけなかった。
1時間半のフライトの約半分を過ぎた頃、お手洗いに行こうと席を立ちお手洗いを終えた時に、そのキャビンアテンダントに声をかけられた。
「昨日、仙台に行かれたお客様でいらっしゃいますよね?」
私の事を覚えていた。はい、と答えると「昨日仙台行きの飛行機に乗っていらっしゃったので、本日花巻発の飛行機に乗っていらっしゃるとは思わなかったので・・・」との事。
自転車のイベントがあり、昨日は仙台から盛岡まで行き、今日は盛岡から花巻まで自転車に乗ったと伝えた(ひょっとしたら仙台から花巻までずっと自転車で移動したと伝わっているかも知れないが・・・)私も何でこの便に乗務しているか聞いてみた。昨日と同じ乗務らしく13:20発の伊丹〜仙台が最初の乗務で、それから仙台〜伊丹、伊丹〜花巻、そしてラストの乗務が花巻〜伊丹20:20着との事だった。なるほどそういう流れなのか。8時間勤務で同じ場所に帰ってこれるんだ、と納得できた。

伊丹に着き携帯の電源を入れると嫁さんからメールが。ようたようせいは奈良にいるとの事。ようせいは初めて親元を離れて一泊やな。大丈夫かな?

家に着くとさすがに疲れた。が、充実した2日間だった。快く送り出してくれた嫁さんに感謝!