土曜日 奈良へ

 久しぶりに時間ができたのと、ダンナが同僚の結婚パーティーでいなかったため、奈良ですごすことにした。

 こうゆうとすずねちゃんがいなかったので奈良も寂しく感じられた。尼講のおばちゃんたちがかえってしまった後、鷹太達が公園に行きたいと騒ぎ出し、、、ギドア達のおうちの様子を見に行ったら基礎のコンクリートを固めている状態で大工さんたちには会えず、ミルクの散歩に合流したらミルクの足がぶるぶると震えだして、すぐに家へもどることとなり。生駒へ墓参りを提案してくれて、鷹太が喜んでいたら、お客さんがやってきて、ジイジのつくったにんしょうさんの絵本の朗読を録音。大きな音、ミルクのなきごえや、子供たちがさけんでも入ってしまうとおこられたためジーッとすごしていたが、あまりにも長かったので、バアバのお兄さんのお見舞いに行くことにした。

 糖尿病がきついとは聞いていたが、顔つきや体つきが変わっていた。前よりは元気になっているとバアバは言っていたが前を知らない私はさみしさを感じた。今里のおっちゃんのお寺の本堂が昨年建て替えられたと聞いていたので、本堂を見たいと頼むと快く案内して下さり、これもまた昔の記憶と全く違う状態で驚いていたら、おっちゃんが一言。「あした、ここで新しいお坊さんにひきつぐ式があるんや。」「もう目が見えへんからお坊さんをやめるんや」「子供も孫もお坊さんになりたくないって言ったから、新しいお坊さんにきてもらうことになったんや。」「時間のながれやなあ」「この本堂をきれいしたのはがんばったんやで」本堂できいたおっちゃんの話は子供たちの成長だけでない時間の流れを感じました。

 鷹太・鷹生ときれいになった阿弥陀さん?たちに手をあわせた。2階に上がり、さかてのおじいちゃんおばあちゃんの仏壇に手をあわせた。長居せず、外にでて見送ろうとしてくれているおっちゃんに鷹太達が飛行機雲を指さして教えた。「おっちゃんは飛行機雲みえへんわ」と返事。鷹生が続いて近くにいたクモを指さし「クモクモ」といったら、「このクモは見える」とおっちゃんが明るくいってくれていた。お寺の横に神社もある不思議な場所だと私は小さいころから感じていたが、そこでドングリを子供たちといっぱい拾って(その時もおちゃんが遠くからみてくれていた)がんばって車を出して、帰路に着いた時も道まで出て見送ってくれはった。
ジイジに報告したら、おっちゃんはいつお寺を出るんだろうといっていた。お参りをしなくなったお坊さんはお寺から出ていかなければならないとの事。おっちゃんのおうちも中の雰囲気はだいぶとかわってしまったなあとは思ったが。おっちゃんはあそこのお寺からほんまに出ていくのかな。。。おじいちゃんおばあちゃんの仏壇はどこへいくのだろう。さかてのおてらもおっちゃんが見なくなってしまうのだからどうなるんだろう。
新しいお坊さんが来るという事はどういう事になっていくのか、かんがえてしまう。さかてにあった荷物ももうみんなかたづいたのかなあ。お寺が実家というのは多分大変不安定なことなんだろうなあとあらためて感じてしまう。私はおじいちゃんの家にも、なかなか入れない状態になっていたし、本当に勝手に入れない場所になっていくのだろうな。。。思い出の中の場所がどんどん増えてしまう。

 明るい話。夜ごはんはよりみちのとなりのちかみちというラーメン屋に初めて行ってみた。鷹太がつけめんのメニューをみてラーメン屋のおにいさんに言ったこと。「らーめん・つけめん・ぼくいけめん」多分もう死語に近い状態かもしれない。  お兄さんの反応がなかったのはききとれなかったからかな?? つけ麺たべていましたが、たぶん本人は塩ラーメンかふつうのらーめんにしとけばよかったとおもったのではないでしょうか。少し酢の味がきいた、大人向けのラーメンでした。